坐禅(座禅)や瞑想をはじめる動機は人それぞれです。

・ストレスや不安、悩みから解放されたい

・仕事の生産性を上げたい

・集中力を高めたい etc…

 

はじめは何かを「得たい」という気持ちで坐禅(座禅)に挑戦する方がほとんどだと思います。

実際に坐禅(座禅)をすると「気持ちがスッキリした」とか「物事に集中できるようになった」という声を耳にしますし科学的にも脳へ良い影響があることが立証されています。

しかし残念なことに坐禅(座禅)で何かを得ることはありません。

 

 

想いを手放す

坐禅(座禅)は「何かを得る」ものではなく「手放す」修行であるということです。

私たちは好むものは「もっと欲しい」、嫌いなものは「避ける、嫌う」。当たり前のことです。

しかし、好き・嫌いは自らの心で選択していること、いわゆる「我(が)」であり自分勝手であることに気づきます。

「我」をそぎ落とし、想いを「掴む」のではなく「手放す」こと。それが坐禅(座禅)です。

 

 

 

 

 

「我」によるジャッジ(選別)

「ウェイターの態度が悪い」、「子供がいうことを聞かない」、「お金が欲しい」、「夫の態度が気に食わない」などなど・・・

すべて私たちの「我」が「良い、悪い、欲しい、いらない」のジャッジをした結果、怒りや苛立ち、不安やストレスになっています。

逆に言うと「我」がおこなうジャッジをしなければそういった感情も湧いてこないということであり、自らが感情を作り上げていると考えます。

 

 

坐禅難民・瞑想難民

「心の安定を得たい」というのも自らの「我」です。

なのでその想いも「手放す」こと。それが坐禅(座禅)であり安楽への道であると先人は考えたのです。

しかし「我」に気づかずに坐禅(座禅)や瞑想・マインドフルネスを続けるとより一層に悩んだり、混乱して大変危険です。

それが近年いわれる「坐禅難民」「瞑想難民」といわれる人たちです。

 

 

 

お寺へいこう!

「坐禅難民」「瞑想難民」にならないためにはどうすればよいか。

それは近くの禅寺へ行き、坐禅の指導をしてもらうことです。

というのも、なかなか瞑想マスターやマインドフルネストレーナーに出会うことは難しいですし結構お金もかかります・・・

禅寺は曹洞宗だけでも全国で1万4千もの数があり、探すのも容易でなんといっても本山で厳しい修行を積んだ「禅マスター」がおられます。

そういった僧侶から的確な指導してもらうことで「坐禅難民」「瞑想難民」から抜け出し、本当の安楽の道がひらけます。

 

 

おわりに

今回は「坐禅(座禅)で得られるものはない」という衝撃的?な内容でした。

上記した「難民問題」のこともあり、本サイトで紹介している坐禅(座禅)の効果はいわば「副産物」のようなものでそれを追い求めることはおすすめしません。

一朝一夕では難しいことですが、自らの「我」をそぎ落とし「良い・悪い」の区別さえも手放すことで日々の生活は大きく変わると思います。修行あるのみです!

 

 

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